人間として、だれが「優れて」いるのか。それは人の痛みを分かち合える「優しさ」をもつ人ではないだろうか。その人こそ「優秀」な人ではないだろうか。
ある人から聞いた。小学生のころ、貧しくて家庭訪問の日がいやだった。教師が来ても、出す座ブトンもない。母親が隣家から借りてきた。普段は見たこともないお菓子も無理して用意した。しかし教師は汚れた座ブトンに座ろうとせず、お菓子にも手をつけなかった。それでも母は、お菓子を包んで「どうぞ」と渡した。
だが教師は、外へ出ると包みを捨ててしまった。それを少年は、じっと見ていた。拾って食べようかと思ったが、母親が頑として許さなかった。「そんなもん、さわったらいかん!」。あの時の母のくやし涙が何十年たった今も忘れられない、と。
人の思い、子どもの悲しみをわからずして、どうして人間が育てられようか。
人間が機械になったかのように、心が心に通じない社会の不気味さ。問われているのは、日本社会の根底の価値観である。
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『私の世界交友録』(「セリーン アンカラ大学総長」の章) p.334