この日、山本伸一は、新任幹部の代表を日本料理店に招き、新たなブラジルの出発を祝い、夕食をともにした。彼は、広布の新天地の未来を担いゆく友を心からねぎらい、励ましておきたかったのである。
伸一を囲んで、和やかな語らいが弾んだ。彼は、男子部の中心者になった郷野栄治に声をかけた。繊細な感じのする青年であった。
「君は今、どんな仕事をしているの?」
「はい、トランペットを吹いて、生計を立てています」
「そうか、大変だな。それで、ポルトガル語は話せるのかい」
「日本にいた時に、二、三カ月、ポルトガル語の教室に通ったので、少しはわかります」
「それだけでは、広布の力にはならないな。しっかり勉強してマスターするんだよ。それが、君の使命を果たす突破口になっていくからね」
伸一は、日本でこの青年と何度か会い、激励したことがあった。郷野は、日本では音楽隊員として活躍する一方、男子部の班長として活動に励んできた。彼には一つの夢があった。それはジャズ奏者になることだった。しかし、当時、日本の社会では、ジャズというと眉をひそめる人も少なくなかった。このころはまだ日本では、音楽として正当な評価を得ていなかったのである。郷野には、自分が志しているジャズが、果たして広宣流布にどうつながるのかという疑問があった。
彼は、将来の進路について悩んだ末に、青年部の室長であった山本伸一に指導を求めたのである。
その時、伸一は言った。
「ジャズが君の心に、本当に響き、どうしてもやりたいというのであれば、挑戦してみることです。仮に、それが実らないことがあったとしても、自分の一念のなかに広宣流布があれば、人生の経験は、すべて生かされるものだ。仏法に無駄はない」
郷野の心は決まった。ジャズを本格的に学ぶには、本場のアメリカに渡る必要がある。しかし、彼には、渡米の費用などなかった。調べてみると、ブラジルに渡るなら、貸付制度があることがわかった。彼はまずブラジルに行き、それから、アメリカに入ろうと思った。
郷野が、船で横浜の港を発ったのは、伸一が会長に就任して約二カ月後の、七月の半ばのことであった。そして、九月上旬に、サンパウロに近いサントス港に着いたのである。
郷野は、サンパウロの東洋人街で、胸に学会のバッジをつけた一人の青年と出会った。その青年から、山本会長が、間もなくサンパウロに来ることを聞かされたのである。彼も受け入れの準備に加わった。メンバーに学会歌を教え、空港で指揮をとっていたのは、この郷野であった。
伸一は、郷野を前にして思った。
“彼の本当の使命は、このブラジルの広布にあったのであろう。問題は、いつ彼がそれを自覚するかだ……”
伸一が、ポルトガル語の習得を口にしたのも、その使命を、一日も早く自覚してほしかったからである。
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『新・人間革命』第1巻 開拓者の章 p.305-308