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願兼於業

遠藤 先日、広島の張福順さんの体験をうかがい、大変に感動しました。張さんは、在日韓国人で、被爆された女性です。差別の苦しみ、被爆の苦しみを乗り越えて、今、平和の語り部として活躍されています。
 張さんは、日本へ移住してきた両親の間に、大阪で生まれました。一家は韓国で手広く農業を営んでおられたのですが、軍国・日本に侵略され、植民地政策によって土地を奪われてしまったのです。やむなく日本へ来ざるを得ませんでした。「日本に行けば素晴らしい生活が待っている」との宣伝文句が頼りでした。しかし、危険な工事現場を転々とさせられ、行き着いた所は、山奥の小さな村。養蚕所の一角をムシロで区切っただけの小屋に入れられ、小作人の下働きとして働かされました。
 しかも、割り当てられたのは、沼地のような田んぼでした。満足な収穫などあるはずがありません。僅かな配給と、草や木の実で飢えをしのいだそうです。
 須田 ひどいですね。当時、たくさんの韓国・朝鮮の人々が、そうやって日本にだまされた。
 遠藤 広島に移住して一年後の昭和二十年(一九四五年)八月六日、「新型爆弾によって広島が全滅した」との噂が流れます。
 張さんは、お母さんと一緒に親類・同胞の安否を気遣って、被爆直後の広島市内へ行きました。その時、二次被爆をしてしまったのです。十二歳の時でした。やっと会えた叔母とその息子は、ひどい火傷で、手の施しようがありません。
 叔母が「医者や薬が足らんけえ、朝鮮人までは手が回らんげな。このまま死を待つだけじゃー」と言うと、お母さんは「アイゴー(哀号)!」と悲鳴をあげました。
 「アイゴー(哀号)! 国を取られ、日本まで連れてこられ、牛馬のようにこき使い、ひと思いに殺さず、何の罪あってこうやって、半殺しにして苦しめるのか! 生きるも死ぬも差別するのか!」。こぶしで地面をたたきながら慟哭する母の姿を、張さんは今も忘れることはできないと言われます。

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2006年08月17日 23:41に投稿されたエントリーのページです。

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