人類解放の大闘争へ「我が生涯に悔いなし」と
一、これからの話を、後世への遺言として語っておきたい。日蓮大聖人は仰せである。
「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(御書970ページ)--一生を空しく過ごして、万年にわたって悔いることがあってはならない--。
私どもの永久の指針である。この御言葉を、私は特に、二十一世紀に生きゆく青年に贈りたい。それは諸君が指揮をとる時代である。
ロシアの有名な作家は言った。
「人間にあってもっとも貴重なもの--それは生命である。それは人間に一度だけあたえられる。
あてもなくすぎた年月だったと胸をいためることのないように、いやしい、そしてくだらない過去だったという恥に身をやくことがないように、この生命を生きぬかなければならない」(『鋼鉄はいかに鍛えられたか』N・オストロフスキー著、金子幸彦訳、岩波文庫)
その通りである。“一体、何のための人生だったのか”--そんな後悔をかみしめることほど不幸なこともない。
「死にのぞんで、全生涯が、そしてすべての力が世界でもっとも美しいこと--すなわち人類の解放のためのたたかいにささげられたと言いうるように生きなければならない」(同)
晩秋を迎えると、宮城の松島、青森なら奥入瀬の樹々が、赤や黄に美しく染まる。
荘厳な夕日が、我が身を真っ赤に燃やしながら十方に光を放つ。
そのように輝いて終えたい。私どもの人生も。
そういう死を迎えられるかどうか--それは「人類解放のための闘争」を、やりきったか否かで決まる。
真実の「人類解放の闘争」は、広宣流布である。仏法を基調にした平和と文化と教育の推進である。国境を超えた人間主義の拡大である。
その闘争こそが「生」を光らせ、「死」をも輝かせる。
皆、命をかけた 皆、敢然と戦った
一、フランスのレジスタンス(第二次大戦における市民の対占領軍抵抗運動)--。ナチスと勇敢に戦った無数の殉難者がいた。
キリスト教でも、他の思想でも、人類史はどれだけ多くの「信念の勇者」で飾られていることか。
皆、命をかけた。皆、敢然と戦った。
<以下、ルイ・アラゴン著、淡徳三郎編『愛と死の肖像-フランス殉難者の記録-』、1950年、青銅社刊から>
一、ナチスの連中は言ったという。
「文化ということばをきくと、俺はピストルをぶっぱなしたくなる」(同)--彼らは「文化」、すなわち「人間」が嫌いであった。この点、「(ベートーベンの)『歓喜の歌』を歌うな」という日顕と似ている(爆笑)。
他国の文化も理解しない偏狭な指導者に率いられ、いばられ、果ては奴隷のように搾取されたあげくふみにじられる--これほどのあわれはない。
宗門と別れたことは、大聖人の御仏意であったと確信する(大拍手)。
嫉妬=「偉大さが、しゃくにさわる」
一、「フランスの偉大さが彼ら(ナチス)の癪にさわるのだ」(同)。フランスの偉大さ--それは文化にある。軍靴を響かせ、自由を抑圧するナチス。世界の尊敬を集めるフランス文化とは、あまりに違う。
「しゃくにさわる」栄光のフランスを、ナチスは倒したかった。
学会も文化主義である。民衆が自由に楽しく行進している。ゆえに、嫉妬の宗門は学会が一番、しゃくにさわる。同じ方程式である。
そうしたなか、ナチスと手を結び、祖国を売る売国奴がいた。青年の怒りは燃えた。--ここに物語は始まる。
「同士を裏切るなら死んだほうがましだ」
“同志を売った”最低の人間たち
一、ナチスに抵抗する多くの青年が逮捕された。なかには、“同志に売られた”者もいた。敵に情報を与え、自分だけ、いい子になって、金を得る。どこの世界にも、そういう卑しい人間がいる。
つかまったフランスの青年たちは、残酷な拷問を受けた。牢に入れられる。なぐられる。水をかけられる。爪を剥がされる。背骨を折られた者もいる。--生き残った者も、半死半生だった。
しかし、どんなに拷問されても、彼らは耐えた。
「同志を裏切るくらいならば、死んだほうがましだ!」
この信念、この勇気、この不敵さ--私は尊敬する。涙をもって。
いわんや「信心」とは最高の「信念」である。にもかかわらず、牢に入るわけでもないのに退転し、同志を裏切る--最低中の最低の人間であろう。
一、「難こそ誉れ」である。それを忘れてはならない。いつも私が矢面に立って一身に嵐を受け、皆を包容しているのである。そのことに甘えてはならない。
幹部が、学会の強さ、自由さ、大きさに甘え、学会員の人のよさを甘く見て、わがままになり、堕落したならば、大変な過ちである。皆を苦しめ、自分自身の人生も失敗である。それでは何のための信仰か。
拷問にも負けず 誘惑にも負けず
一、拷問を受ける一方で--。
「我々に協力すれば、裕福な暮らしを約束する」と、ナチスの甘い誘いを受けた者もあった。
しかし、そんな誘惑は笑いとばされた。
何を言うか! ばかにするな!--だれもが誇り高く、気迫に満ちていた。申し出を断れば、「銃殺」が待っていることを百も承知していながら。
「私は幸福だ!! 戦い抜いたから」
我らの死に方を見せてやろう!
一、彼らは言い放った。
「私の望みは--真のフランス人が、どんなに立派に死んでいくか、それをナチスの首切人どもに見せてやることだ!」
切るなら切れ! 殺すなら殺せ! 喜んで死んでみせよう。首切人、裏切り者、残虐な権力者。彼らに我々の死に方が、どんなに立派であるか、みせつけてやる!--こういう心の叫びであった。
この青年たちを見よ!!
ナチスに屈しなかった レジスタンスの英雄たち
二十七人の英雄たち
一、これはほんの数十年前の真実の歴史である。
一九四一年十月二十日、レジスタンスの逮捕者の収容所にナチスの将校の一人がやってきた。この日、別の場所でナチスの一将校が殺された。
その復讐のために、事件と何の関係もない収容者の中から、見せしめを選んで殺そうというのである。将校が来たのは、そのためであった。
この報を聞いた瞬間、だれもが死を決意した。
一、ついに、二十七人の名前が呼ばれた。なかには、まだかわいらしい十七歳の少年も入っていた。
皆、レジスタンスの闘士であった。<選別に当たってはコミュニズムへの敵視があずかっていたとされる>
だれもが皆、泰然自若としていた。
「私を代わりに連れていけ!」「私を連れていけ!」--同志たちは、それほどまでに潔かった。
草創期の学会のような姿である。
「牢獄まで連れていってくださった」
一、私の胸に、一つの言葉がわく。
戦時中、牧口先生と戸田先生は、軍部の弾圧で投獄された。軍部は、ナチスと同盟を結んでいたファシストたちであった。
同志が次々と退転し、牧口先生を恨む声があふれた。そんななかで、戸田先生だけが最後まで裏切らなかった。
それどころか、先生は「あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」と語られ、師匠に感謝を捧げられた。
この至誠の叫び。崇高なる師弟。こんな言葉を、だれが言えよう。今、だれがこの決心で戦っているのか--。
権力者よ、お前らこそ弱者だ!
一、「死刑!」--言い渡されたとき、彼らは顔色ひとつ変えなかった。眉ひとつ動かさなかった。微笑を浮かべさえした。
卑しい首切人どもを、にらみつけてやろう! 軽蔑を示してやるのだ!
あまりにも堂々としていた。処刑者たちのほうが、どうしてよいかわからず、うろたえるほどであった。
皆、顔面蒼白になって、泣き叫び、命乞いをし、我々の前に這いつくばるはずではないのか? どうして、こいつらは、こんなにも自信に満ちているのか?
友よ、この歌を聞け! 歌え!
一、二十七人が処刑場へ連行される時が来た(十月二十二日)。
連行するトラックが到着した。別れの時--その時である。
英雄たちのいる収容所のバラックから歌声が起こった。だれかが、革命の歌「ラ・マルセイエーズ」を歌っていた。皆が歌っていた。
歌声は広がっていく。バラックからバラックへ。友から友へ。わき上がるように、収容所全体をおおっていった。
歌いながら、同志はバラックの床板を踏み鳴らした。バン! バン! ババン!
その音で知らせた。言葉にならぬ胸のうちを。
歌はやまない。どんなにやめろと言われても、ますます大きな声となり、歌の輪は広がっていった。だれもさえぎれなかった。
--歌は叫びである。だれに止められようか。民衆の叫び、民衆の歌声を抑えつけようとする権力者は、縛ろうとすればするほど、やがて自分がだれからも相手にされなくなり、不自由になっていくにちがいない(大拍手)。
この秋、徳島では多数の人々が「歓喜の歌」を合唱する。徳島は、日本で初めて「第九(交響曲)」が演奏された地とされる。第一次大戦で、捕虜となったドイツ兵が収容所で演奏した。
わき起こった「ラ・マルセイエーズ」。フランスの国歌であり、人を鼓舞する魂の歌である。
<このあと、名誉会長の呼びかけに応じて、会場から男女の代表が壇上に上がり、フランス語でこの歌を紹介。「文化の東北」らしいハプニングに盛大な拍手が寄せられた>
生死に境を分かつとも
一、二十七人は手錠をはめられ、トラックに乗せられた。まだ歌を歌っていた。
ガタン。車が動き出した。とうとう、たまりかねてバラックから全員が飛び出してきた。「こんなところにいられるか!」--。
四百人が、ひとつになって歌い出した。歌い、歌い、歌いながら、トラックを見送る。
かたや「生」。かたや「死」。峻厳な分かれ道であった。
生と死に分かれても--同志の心は、ひとつだった。
一幅の絵である。創価学会の「同志の心」も同じである。
「僕の希望までは殺せない」
「祖国万歳」
一、連行された二十七人は、「目隠しもいらない」「手を縛る必要もない」と望んで、悠々と処刑に臨んだ。
銃口も恐れない彼らは、死刑執行人たちを驚かせた。
最後の瞬間まで歌いながら、「フランス万歳!」と叫び、倒れていった。
「僕を殺しても、僕の希望まで殺すことはできないぞ!」と(大拍手)。
<レジスタンスの一英雄の遺書から。他の人も同じ確信であったにちがいない>
一、二十七人は遺書を残した。<連行の直前、紙に一枚ずつ書いた>
その遺書と証言に基づき、彼らの最期を記録した文書は、こっそりと写され、また写され、回し読まれて、またたくまにフランス中に広がった。外国でも読まれた。
これが占領下のフランス人に「勇気」を与え、ナチスを倒す抵抗運動の炎となっていったのである。
史上、有名な文書『殉難者たち』である。<ルイ・アラゴン編。当時は匿名>
「思想は永遠に死なない」
「最後の手紙」から
一、彼らに限らず、総じて、レジスタンスの殉難者の「最後の手紙」は、驚くほど平静である。達観がある。その一部--。
「われわれの子供たちの未来のため、すべての働く人民の未来のため、進歩のため、私は誠実に働き、かつ野蛮と奴隷的圧政に抗してたたかったことを自覚しつつ、私は死んでゆく」(『愛と死の肖像』から、以下同じ)
進歩のために誠実に働いた--私どももそうである。働いて、働き抜いている。
そして、信徒を奴隷にしようとする野蛮な圧政は断じて許さない(大拍手)。
「勝利を確認せよ、それはもうすぐまぢかに迫っているのだ」
「私は人類が幸福になることを欲した。未来をじっと正視してごらんなさい。それは燦然と光を放っています。
(中略)私は若くして、非常に若くして死んでゆきます。だが、私のうちには永久に死なむのもがあります。それは私の思想です」
“永久に死なぬもの”が胸中にある--私どもにとって、それは仏法であり、信心である(大拍手)。
“彼らは戦った。人類解放へ「希望の鐘」を鳴らすため”
死を賭して「希望の鐘」を鳴らす!
一、「時計の針はグングン進み、死刑までわずかにあと三時間です。
(中略)私が勇敢に死に突き進みうるのは、私は死ぬのではなく永久に生きるのだということを知っているからです。
私の名前は葬式の鐘の音ではなく、希望の鐘の音としてひびきわたるでしょう」
私は死ぬのではない。永久に生きるのだ。私の死を告げる鐘は、未来への希望の鐘だ--。
死の三時間前に、この確信。このプライド。これくらいの矜持で生きねばならない。青年ならば。
仏法では「方便現涅槃<方便として涅槃(死)を現ず>」と説く。
死して、死せず。生命は永遠である。「永遠の法」に殉じた人生は、「永遠の希望の鐘」となって響き渡る。
スローガンは勇気そして希望
一、「勇気と希望、これこそわれわれのスローガンでした。そしてこれがあなた方のスローガンともなるように」
若き日から、いつもわたしは言ってきた。「大切なのは、勇気と希望だよ」と。「皆に、勇気と希望を与えるんだ」と。
“もう一度生きても同じ殉難の道を”
何度でも戦う!
一、「私はもう一度自分自身をかえりみてみた。私の良心は平静である。私がもう一度人生をやりなおすとしても、やはり同じ途をあゆんだであろうということをみんなに伝えてほしい」
もう一度、生きても、再び「死刑への道」を行く、と。何の後悔もない。最高の誉れの人生だ、と。
何という立派な信念であろう。皆様も生きていただきたい。「もう一度、生きるならば、また同じ道を行くだろう」と誇れる人生を(大拍手)。
命を捧げよう 青年を信じて
一、「僕は、いってみれば、よい土壌を作るために木から落ちる木の葉のようなものです。土壌のよしあしは、木の葉のよしあしによります。僕はフランスの青年たちのことをいいたいと思ったのです。青年たちにこそ僕はいっさいの希望をささげています」
自分は肥やしになる。犠牲になる。青年たちよ、だから自分の分まで、立派に伸びておくれ、立派に戦っておくれ。彼らは、こういう信念に殉じて、誇り高く一生を終わった。嘆きに沈むどころか、大きな「感謝」をもって--。
「見よ!! 私の闘争を 私の人生を」と
「理想をもたぬ人々は気の毒だ」
「おかげで私の生涯が、むだな生涯でなく終われるのだ」
「私は理想もなく死んでゆくもの、またわれわれが持っているような理想にたいするゆるぎない確信をももたずに死んでゆくものを、ただ気の毒に思うだけだ」
短くとも不朽の人生がある。長くとも空しい、“生きながら朽ちていく”人生もある。
法のため、人のために尽くしきった五十年と、人を批判するだけで自分は何もしなかった五十年と。天地雲泥であろう。
我が人生を、「何のため」に生きるか。自分で求め、自分で発見し、自分で決めなければならない。自分で「誇り」をもてるよう生きねばならない。
正義は悪を許さず、容赦せず
一、彼らは、自分たちを敵に売った裏切り者の名前を書き残した。遺された同志は、この裏切り者を、草の根を分けて捜し抜き、捜し出した。つかまえた。
絶対に許さなかった。容赦しなかった。罪科を数え上げ、満天下に公表した。断罪し、たたきのめすまで戦った。
その決心があったからこそ、あそこまで戦えたのである。ナチスを倒せたのである。「最後の勝利」をつかんだのである。なまやさしい気持ちで、極悪の権力に勝てるはずがない。
(第79回本部幹部会、第6回東北総会 1994・8・30)